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市原尚士の絵・本・漫・文 ◆峩鮗圓隆遒咫帖張螢坤泪鵝Ε廖璽肇蕕暴于颪Α
シンガポールでは初めてとなる大規模な国際現代美術展「第1回シンガポール・ビエンナーレ」が2006年11月12日まで開催中だ。38の国・地域から95組のアーティストやグループが参加。日本からも杉本博司、森万里子、会田誠らの作家が出品している。
 東京・渋谷区にある特定非営利活動法人「アーツイニシアティブトウキョウ(AIT/エイト)」(http://www.a-i-t.net)が美術展の開幕(9月4日)に合わせてツアーを開催したのに参加してきた。
中国系、インド系、マレー系など多くの民族が共存する多文化社会を象徴するかのような展示作品が並ぶなか、最も心をひかれたのはあるパフォーマンスの男性演者だった。彼の名前はリズマン・プートラ(Rizman Putra 1978年、シンガポール生まれ、http://www.killyourtelevision.info)。2度の来日経験を持つことを、後日知ったが、国内での知名度がまだ高いとは言えないだろう。どこかイッセー尾形を想起させるような彼の仕事を今回は紹介してみようと思う。
プートラ1
プートラ氏のインスタレーションが展示されている旧市庁舎の正面外観

 9月1日夜、シンガポール中心部のパダン広場で開かれたビエンナーレのオープニング・パーティーでプートラのパフォーマンス「ソントアローヨ(Sonto Al Loyo:The Elegy of a Man and his Weapon of Choice)」を見た。
プートラは、海外旅行で使うようなトランク1つをガラガラと引っ張ってステージ上に現れ、向かって左手にそのトランクを開いて置く。舞台中央にはCDのミニコンポ6台を並べた台が置かれた。コンポからはそれぞれ異なる6種類の音楽(フォーク、グラムロック、ニューウェーブ、ヘビーメタル、グランジ、ヒップホップ)がエンドレスで流れ続けている。ただし、観客の耳に入る音楽は常に1種類のみ。5台の音量を最小に絞り、1台だけを大音量にする。それをマイクが拾い、大きな広場中に1種類の音楽が響き渡るという仕掛けだ。
 プートラのパフォーマンスは、この音楽にまつわる「いかにもありがちなイメージ」を模写し、それぞれ演じ分けるというもの。例えばグラムロックなら、その服装はこんな感じ。真っ赤な口紅を唇中に塗りたくっている。頭には金髪のカツラ。首には、ピンクの長いマフラーをぐるぐる巻いている。けばけばしい赤紫の服、ショッキングという言葉がふさわしい黄緑色のパンツ。そう、女装したデビッド・ボウイのイメージだ。プートラは、唇をやたらとチューのような形で突き出しながら(性的挑発をするかのように)ステージ上を所狭しと動き回るのだ。CDから流れる演奏に合わせて、彼が歌う詞は単純そのものだ。「Destroy(ディストロォーィ)」と叫び続けるだけ。
 プートラがコンポに近づき、グラムロックの音量を絞り、その代わりにニューウェーブの音量を大きくする。すかさず、持参したトランクに駆け寄るプートラ。その中には複数のキャラクターを演じ分けるための衣装がたくさん詰まっている。グラムロックの服を大急ぎで脱ぎ始める。純白の下着一つになると今度はニューウエーブ風の人物に変身する、という訳だ。大急ぎで慌てた様子で着替える癖に、時折、明らかに故意と思われる「トチリ」を差し挟むのがご愛敬だ。ちょっとつまずいたり、パンツに片足を入れたまま、もう片方の足がなかなか入らず、ピョンピョンと片足跳びしてみせたりするのだ。
衣装を変えると、違うミュージシャンに変貌する。その様子は、まさに異なる人格が憑依したかのよう。6種のキャラクターを演じ分けた後、彼は最後に服を脱ぎ捨て、パンツ一丁になって再び「Destroy」と熱唱する。まるで「裸のオレを見てくれ」とでも言わんばかりに。
一体、このパフォーマンスは何を意味しているのか。なぜ、彼は異なるミュージシャンを演じ分けるのか? 様々な疑問を解明せんとインタビュー取材を申し込んだところ、9月3日夜に会うことができた。以下はその模様である。
プートラ2
市原のインタビューに答えた後、撮影に応じたプートラ氏。右手に持っているのが大事なトランク
プートラ2-1
プートラ2−2

――ステージ上でプートラは時折、パフォーマンスのタイトルでもある「ソントアローヨ」という言葉を絶叫して見せる。すると聴衆が爆笑しながら、同じ言葉を叫び返して見せていたが、そもそもこの「ソントアローヨ」とは何なんですか?

プートラ氏
「そうだね(にこっと笑いながら)、『ソントアローヨ』というのは架空の男性ミュージシャンの名前なんだ。僕の中では、彼はポピュラー音楽全般の伝説的な人物で多くの音楽ジャンルを易々と越境してしまう天才、という人物設定なのさ。なぜ、観客が笑っていたかって。あの言葉は、ジャワ語のスラング「sontoloyo(ソントローヨ)」をもじった。意味は「馬鹿者、愚かな、良くない」などなど。つまりはマイナスのイメージの言葉。お客さんが思わずくすっと笑ってしまうような名前の方が、コミュニケーションがより取りやすいと思ったから、この名前を採用したんだ。ソントアローヨは、様々な音楽上のキャラクターになりきろうと挑戦を続ける。でもしょっちゅう彼はそれに失敗してしまう。何しろ愚か者、トリックスターだから。でも彼はいつだって楽観的なのさ。失敗を繰り返しても、様々な人格に変身することを楽しむんだ」

――6種類のミュージシャンに変身する、というパフォーマンスの意味はどのようなものなのか?

プートラ氏
「自分ではない異なる人格に変身すること、何かのフリをすることってすっごい快感じゃないかな。僕はずいぶんと小さいころから、『ごっこ遊び』にはまっていた。違うタイプの音楽を流し、それぞれ違う格好をし、いかにもありがちな人物像を演じるということによって、自分自身とは異なる人格に変身できる。それは喜びそのものであり、解放感を味わえるんだ」

――このパフォーマンスを演じる上で、誰か多大な影響を受けたアーティストはいたのか?

プートラ氏
「デビッド・ボウイだね。彼は異なる人格を憑依させる天才だよね。彼のすべての仕事から強い影響を受けて僕は自分のパフォーマンスを演じている。マイケル・ジャクソンにも憧れていた。いや憧れる、というより僕は小さいころ、将来の夢を聞かれれば『マイケル・ジャクソンになること』って答えていたくらいなんだ。それから音楽にまつわる、いかにもありがちなイメージ、服装を学ぶために、僕がいつでもしていること、それはMTVをたっぷりと視聴することなんだ。アイデアの源泉はテレビの音楽番組って訳さ」

――トランクいっぱいに詰まった衣装を着替える様子は見ていて面白いけど、あなたのパフォーマンスにおいて、「服」の持つ意味はどのようなものですか。

プートラ氏
「もちろん、服装は非常に重要さ。僕はいつでも服を探している。他人に探してもらったりはしない。全部、自分で探し出して購入するんだ。市内のフリーマーケットを丹念に回ることが多いかな。みんなすごい安物さ。(日本円に換算すると)100から200円くらい、どんなに高くても300円ちょっとの服だよ。この安物の服が、僕が異なる人格に変身するための重要な装置になるのさ。僕はいつでもこの服が詰まったトランクを持ち歩いている。大事な大事な道具だからね」

――インタビュー中のプートラ氏は、紳士的で笑みを絶やさない。パフォーマンス中の狂ったような形相や叫び続ける姿とはまったく異なる。プートラ氏の仕事に文明批評的な意味を見いだすのが、アーツイニシアティブトウキョウの副ディレクターを務めるロジャー・マクドナルド氏だ。

マクドナルド氏
「いかにもありがちなミュージシャンのイメージをそっくりそのまま模倣してみせるという彼の仕事から私が感じるのは、『セレブリティーカルチャーに対する痛切な皮肉』ですね。よくテレビ番組の中に見られるキャラクター像を演じて、その薄っぺらさを露わにして見せる。見た目はお笑いみたいなパフォーマンスだけど、意外と文明批評的な深い意味を持っているように思える」

――マクドナルド氏の言う通りかもしれない。シンガポールでも日本でも、若者がバンドを組んで音楽活動をするとしよう。その時に見せる様々な身ぶりや演奏の手法などのイメージソースはMTVの中のポップスター、セレブたちの模倣に過ぎなかったりする。完全に模倣であるにもかかわらず、それを当の演じ手が模倣であることに気付かず、「個性的なパフォーマンス」をしていると信じ込んでいる逆説が、そこにはある。自身の個性って何だろう、と考え直す切っ掛けとしてプートラ氏のパフォーマンスの持つ意味は大きそうだ。よそからイメージを借りることが悪い訳ではないのだ。プートラ氏が言うように「変身・模倣は解放感を呼ぶ」のだから。
プートラ4
旧市庁舎内に展示されているプートラ氏のインスタレーション 
プートラ5
インスタレーション作品の一部として上演されている映像のうち「ニューウェーブ編」より

――プートラ氏の仕事の面白さは、ライブだけではない。ビエンナーレの主会場となった旧市庁舎に展示されたインスタレーション作品も興味深いのだ。展示室内に入ると、あのライブで見た時と同じCDコンポ6台が左右の壁沿いに3台ずつ置かれている。その奥にはスクリーンが設置され、ライブと同様のパフォーマンスを撮影した映像がエンドレスで映し出されている。6編は、それぞれ3分弱の映像で、フォーク、グラムロック、ニューウェーブ、ヘビーメタル、グランジ、ヒップホップとそれぞれの変身ぶりが記録されている。
実際のライブ活動と映像の中に収まったライブの風景と、それは同じく架空のキャラクター・ソントアローヨの芸術作品である。しかし、どことなく手触りが異なる。「変身する喜び」をかなり楽観的に語っていたプートラ氏にとって、その喜びが味わえるのはあくまでもライブなのではないか。室内で長々と繰り返される映像の方は、人工的にでっちあげられたヒーロー像が示す「偽物の輝き」のように思えてくるのだ。ここには喜びや輝きはない。
実在するデビッド・ボウイ、マイケル・ジャクソン、彼らがステージの上で味わう興奮や喜びといったものは、それがいったんテレビを始めとする各種メディアで世界中に流布すると同時にまったく別種のヒーロー像と変容してしまう。あまつさえ、模倣しているとの自覚もなく模倣する追随者を世界中に誕生させるだけなのだ。
ここで、デビッド・ボウイの有名な歌「ファッション」の一節を思い出した。

Listen to me―― don’t listen to me
Talk to me――don’t talk to me
Dance with me――don’t dance with me

オレの言うことを聞けよ、オレの言うことを聞くな
オレに話しかけろよ、オレに話しかけるな
オレと踊れよ、オレと踊るんじゃない

命令形は「しろ」と「するな」の間を揺れ動き、聞き手は一体、どちらに従えば良いのかまったく分からない。そもそもなぜ、聞き手は命令に従わなければならないというのか。高度資本主義社会は、様々な手段を使って「もっと消費しろ」「金を使え」とささやいてくる、洗脳してくる。その装いは非常に洗練されている。プートラ氏の仕事も、ボウイの歌詞さながらの矛盾した様相を示しているのではないか? 陳腐なミュージシャン像の反復、さらにライブと映像の2本立てによる印象のズレなどを巧みに生かしながら、「メディアの作り出す英雄に『従え』『従うな』」という二者択一を観客に迫る、優れた文明批評たりえている。

――イッセー尾形と同じように、舞台上で着替え、様々な人格を演じるリズマン・プートラ。彼は、衣装、音楽などなどパフォーマンスのすべての要素を1人で担当している。つまり自作自演。メディア批判的な香りも強く漂ってくる仕事だ。イッセーとリズマン、2人はすごく似ているようで、どこか大きく異なる点がありそうだ。正直に言って、私は、それが何なのかまだよく分かっていない。違いを知るためにも、日本で2人の共演(競演)が実現することを祈念したい。
 なお、プートラ氏の初来日は2002年、東京で行われたダンスの公演に来たという。その時、共演したのがかつてダムタイプで活躍した砂山典子だった。そう、大事なことを言い忘れていた。プートラ氏はシンガポールの学校で創作ダンスを教える教師でもあるのだ。
2005年に福岡で開かれた第3回福岡アジア美術トリエンナーレへ参加したのが2回目の来日となる。この時は、シンガポールのアーティスト・ユニット「キル・ユア・テレビジョン」(Kill Your Television、略称KYTV)としての参加だ。テレビを見まくって、ネタを作り出しているプートラ氏が一方で「テレビなんか見てんじゃねぇ、そんな暇があったら、俺のライブを見に来いや」と叫んでいるようで、その矛盾ぶりにくすりと笑わされた。

――ところで、プートラ氏から全然、話はそれるが、もし彼のパファーマンスや美術に興味がおありでこのビエンナーレに行こうと思い立った方がいたら、是非とも立ち寄られることをお薦めしたい場所がある。チャンギ博物館(The Changi Museum、http://www.changimuseum.com)だ。かつてシンガポールを占領した日本軍が捕虜収容所として使った刑務所を博物館として活用している場所で、戦時中、日本軍が行った現地での統治の模様が各種資料を使って展示・詳説されている。
イギリスのアジアにおける拠点、シンガポール要塞を山下奉文率いる日本軍が攻撃、1942年2月にイギリス極東軍司令官・パーシバル中将は無条件降伏した。占領した日本は、「昭和の御代に得た南の地」という意味から、シンガポールを「昭南島」と改称し、現地の人間に日本語の習得を押しつけ、天皇誕生日に行う儀式の強制など、要するにシンガポールに住む人間の「日本人化」を推し進めていった。憲兵隊は、Kempeitai(Japanese Military Police)として現地語にもなっている。
そんな過去のあるシンガポールのビエンナーレで、日本人作家の会田誠氏は「Harakiri School Girls」と題する作品を出品していた。体操服にブルマー姿の女子高生が無表情のまま切腹し、はらわたを外にさらけだしていたり、日本刀で自らの首を切る瞬間をとらえていたりする姿を描いた作品だ。
日本軍の苛烈な支配に苦しんだシンガポールの人々にとって、60数年前の出来事はまだまだ過去のものとは言い切れない。その彼らにとって、この作品を見る(見させられる)ことは、まさに「シャレにならない」のではないだろうか。
美術と過去の歴史の関係性。そんなもの「こじつけだ」と思われる方もいらっしゃるかもしれない。しかし、昭南島で「切腹女子高生」の絵が飾られるというのは、やはりどうしてもシンガポール側の反応が気になってしまう。
そういうことを考えながら、ぼーっと現地のクオリティーペーパー「The Straits Times」の日曜版(2006年9月3日発行)を読んでいたら、会田の作品を写真入りで紹介した欄に、こんなくだりを見つけて、どきりとした。

Makoto’s manga-esque painting shows schoolgirls committing ritual suicide.
Stylised violence never looked so good.

様式化された暴力、あるいは暴力の美化を決して好ましくは受け止めていないニュアンスがさらっと書かれた文章の中に込められているようだ。特段、作品を攻撃しているようにも見えないが、やはり気になった。
 美術はただ単に純粋な美術作品として存在するのではなく、過去の歴史や作品を取り巻く社会と無縁ではあり得ない。そんな事実を改めて突きつけられたように思えた。
 ビエンナーレで、展覧内容の全体を指揮する芸術監督を務めたのは南條史生氏(森美術館館長)だった。日本の侵略の爪痕を今も残す地で日本人監督が美の祭典を企画し、多くの日本人作家が参加したということの意味をよくよく考えてみたい。今展のテーマとして麗々しく掲げられたのは「信念―BELIEF」だった。戦後約60年もの間、日本人はどんな「信念」を抱いていたというのだろうか。美術作品を一つの切り口にして改めて考察するためにも訪れる価値のある国際美術展のように思えた。
                       (2006年10月15日)
☆☆☆☆
「シンガポール・ビエンナーレ」の観覧料は5シンガポール・ドル。
展示内容や関連イベント等の詳細については「シンガポール・ビエンナーレ事務局」(http://www.singaporebiennale.org 英文表記のみ)を参照して下さい。

「チャンギ博物館」は観覧無料。
午前9時30分〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
☆☆☆☆
市原尚士(ジャーナリスト)
| 市原尚士の絵・本・漫・文 | 15:37 | comments(0) | trackbacks(1) |
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