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沖縄WSレポート2006.9
今回は9月に沖縄で行われたWSレポートです!
ご覧になりたい方は・・・
沖縄ワークショップ 本番レポート

たんたかたんたか、たんたかたんたか、たんたかたんたか

ベースとドラムが、調子のよいのんびりした曲を奏でる。おじいが曲がった腰をひきずるようにして、歩いてくる。中央でちょっと立ち止まって。客席のほうを見るのだが、自然と遠くを眺めるその先は、青い海か、はたまた広がる基地か。客席は15列くらいしかなくて、結構横広がりの劇場だけれど、舞台にショッパーたちが立つと、風が吹きぬけるような、空が照ったりかげったりするような、そんな気分になってくる。
下手を振り返り、呼びかけるとおばあがやってくる。みな暑そうなしぐさだけれど、浮き立つものが伝わってくる。今日はシーミー祭。みんなに会えるねえ。
そのうち、ピザ屋イッセーが派手なアロハでまぎれる。
「沖縄には若い人いないんすか」
客の思っていることを代弁すると、沖縄に本当におじいやおばあの存在感が大きいことを認め合う空気が流れる。

舞台に全員が座り込む。見事に全員がおじい、おばあである。最前列中央の女性が、一族の祭祀をつかさどるのだろう。お祈りをささげ始める。後ろを振り返り、到着が危ぶまれた誰かを認め、みな、頭を馬のように上げ下げして、喜びあう。全員が何か言っているけれど、音だけが響く。みなが口ぐちに言ったことが唱和の中に解けこんでいく。ここでは、だれも彼も先祖の前では自己を主張しようとはしない。溶け込むことを楽しむかのようである。一つ一つは別なのに、あるとき、一団になって行動する生物みたいだ。次の瞬間、また別々に分かれていくが、お互い根っこのひもを握り合っているような集団。

単純で明るい沖縄の唄で始まる

1 ノブの葬式
舞台の上に残った4人。前におばあ、斜め後ろにおじい。その後ろにもう一人おばあと膝枕で昼ねしている男の子

東京へ行ってきたよ。
ノブの葬式でさ。
ノブはかわいそうだったね。
観光バスに乗せられて、赤坂だか青山だか、のホテルに連れて行かれた。と言い出す。後ろの男性は、民謡の合いの手のように人の話を促す聞き方をする。

安心したかのように、語り続けるおばあ。ノブは沖縄から出て東京で死んだ。客死である。妻に子どももできてこれからだというのに、と、3人の大人たちは悲しむが、思い出すのは、彼が寝しょんべんたれのどうしようもない子どもだったことや、米軍キャンプでぷーぷーとラッパを吹いていたこと。思い出の合間合間に、東京での葬式の話が挿入される。ホテルの中に火葬場があって、焼けるのを待つ間、お茶とお菓子も用意されていて、せんべいを食べたくなったが、音がするから我慢したと。そこにはなんとはなしに浮き立つものもある。
浴衣姿で昼寝してた子どもが起こされ、ノブから習った落語を演るように、大人たちからせがまれる。生きたビデオテープのような存在だ。日本史で習った古事記の稗田の阿礼の口伝の話もきっとこんな感じだったのだろう。ノブという男は、この子の語りの中にも、おじいやおばあの昔語りの中にも生き続けていく。そこに、葬式にも出た親戚のチョー明るいおばあが登場して、ノブの死はそれとして、葬式でいった東京が楽しかったと言い出す。それもこれもみな本当にあったこととして、安里屋ユンタの調べに溶け込んでいく。

子どもが家にいることがどれほどよいことか。子どもは命を継いでいく。血のつながりがあればなおのこと。人は必ず死ぬるけれど、その命はかならず受け継がれるもの。沖縄にくれば、こんなに自明なことが、東京ではそうは受け止められない。東京では子どもはかわいく育ち、賢く成長しなければ軽んじられる。

2 やぎと豚と兵隊

平台の下手はしに若い今風のカップル。カラフルな装いのおばあが語りだす。学校から帰ってきたら、やぎがおってよ。かわいくて、毎日草やって、ころころのウンチをして。ぜんざいにはいっとる豆のようなウンチ。牧歌的な昔語りは、やおら四肢を結わえられて木に縛られたやぎに向かって、男がなたをこう振りかざす! と急変する。

高まる沖縄の音楽。じゃかじゃかと。
クライマックスの興奮もなく、おばあはさらに同じ口調で言う、ぐらぐらに湯が沸き立った大なべに、子豚が放り込まれる!  

追い込まれていく若いカップル。おばあの話は、あわや、がテーマ。生き物のかわゆらしさも、人間の食べ物として大切にされるからこそ。沖縄は幻想の島ではなくて、チョー現実の社会だ。流行のファッションに身を包んだ息子の女友達にも、そこから始まる付き合いが求められている。

そして、おばあの娘のころ、駐留しているアメリカーは、若い娘をサトウキビ畑に引きずり込んだ。汚れた姿に身をやつしていても、その若い姿はおのずと現れ、ある日、娘の前にジープが通せんぼを!

紳士的にチョコレートをくれたジープの将校に向かって、若き日のおばあは言った。
モアー

3 ふーチャンプルー
孫が京都で買ってきたふは丸くて小さくてカラフルである。おつゆに浮かべて食べるのだ、と、近所の主婦はおもしろそうな話をしていく。
それぞれに、語りだすうちに、この家のもてあまし娘だろうか、自分だけの時間に閉じこもっているような口調で一人で話し出す。東京の犬は服を着とると。男との見合いや、東京での色恋のあれこれまで語るが、どうも少しも色っぽくない。語りだすととまらなくなる。見ているものがいたたまれなくなる寸前、音楽隊の中に座り込んでたイッセーさんの上体が間合いをはかるようにぐらぐらとゆれだす。そして、舞台へ。

「ここで泊めてもらえるって聞いたんですけど」と、すっ頓狂な内地のヤングのまま座敷へ。そして、語り始めてとまらなくなった娘にひきこまれてしまう。まるでちゃんぷるーのように。
人物を作れといわれて本番やり始めたところ、作った人物が暴走してしまったショッパー自身が、イッセーさんの登場でほっとする。そして、いかにも違和感のあった一人語りの娘が、イッセーの登場で、場面に溶け込んでいく。最初から予定されていたように。

4 基地のまかない

おじいは、昔基地で働いていた。そこでいかに残った食物をうまく持って帰ってきたかを述べる。マサイ族の元戦士が、その昔キリンをしとめたときのことを回顧するかのようであるが、内容はちっとも男らしくない。使う必要のない缶詰の封をあけ、あければ棄てるしかなく残飯行き、それを持ち帰り食堂で売ってもうけたねえ、と。昔話にしては、せこい。
聞いているおばあは外聞が悪いから、顔をしかめて打ち消すが、まあ、それはかえっておじいの手柄話を強調するアクセントのようなものである。若やいだ邪気のないおじいの話は、戦場になった沖縄の戦争直後を、おとぎ話にかえていく。

5 年寄りごっこ

このシーン、見ることができて、私は命の延びる思いがした。

参加者中せりふつくりと、相手を受ける行為が最も上手だった二人。なるみちゃん中学2年とはやとくん小学4年。
大きな声でおばあが言い出す。昔トイレの下に豚がいたよ。で、うんちするたびに、子豚がお尻に噛み付いて、豚が一番こわかったねえ。おじいは何がこわい?
利発そうなおじいは話し出す。おじいはジャングルジムがこわかったねえ。ジャングルジムはなんで、棒が丸くなってるのかねえ。手をすべららせて、がんがんがんと鼻を打ったよ。
あれえ、おじい、痛そうだねえ。

いやあ、気持ちよかったよお。

練習のときから何度でも同じせりふ、同じ声で繰り返された唯一の芝居なのだけれど、何度見ても何度聞いても、何度でもうれしくて笑ってしまった。この子たちは、毎日毎日夜中に脱皮しているに違いない、昨日までの自分ではなく、日々更新しているのだ。だから、新しい彼らが同じせりふを言うたびに、新しいユーモアがわいてくる。

子どもおばあとおじいの前に本物のおじいとおばあがうたた寝をしている。本物が目を覚ますと、あっという間にいびきをかいて眠るふりをする。そして、本物たちもまた、おじいとおばあの会話をするのだが、あの小さなおじいおばあは、本当にそこにいる子どもなのか、それとも、大昔のおじいとおばあなのか、それともケンムンの一種なのか、時間がどちらにでも向くような気がしてくる。

6 ルートビア

4人の男たちはばらばらである。縁側の二人はやや若く、座敷にいるのは年いってる感じ。ルートビアは歯が溶けると父親がだれにともなく話し出す。まったくどうでもよさげな話しではあるが。それを受けて下手縁側が、とけるのはコーラだと薀蓄を披露し東京でのオフィスライフを語れば、上手縁側ヤンキー風は、那覇での浮いた話をする。後ろでやぎのようにおだやかな風貌で三線を弾く男は、何もいわず、ただ一度、二人の名前を呼ぶのみ。まるで、身内の魂を沖縄に呼び戻せるかどうか、やってみたというような呼び方である。聞こえぬふりをする者と、しぶしぶ返事をする者と。まったく話しのかみ合わない4人の中に、母ちゃんのいない男ばかりの家庭のあれやこれやが、浮かんでくる時間。沖縄でまぶいを扱うことができるのは、女だけらしい。それでも、男どうし、風の通る座敷に座っているのはさぞ居心地もよかろう。

7 たまご焼き

東京のバスは、並んで待ってるよ。で、知らないものどうしが隣にすわりあうよ。と、土産話をしにきた近所の女性たち。上品そうな座敷のおばあは、昔たまご焼きをだれも食べなかったころ、じぶんの父親は物知りで、運動会の弁当に入れていってみな目を丸くしたと、懐かしむ。大人どうしのやりとりに、元気な女の子が割って入り、習いたての中学の勉強をおばあに聞かせる。多分に、縁側の二人の大人を意識した子どもらしい気負い。うるさそうに、おばあは、大人は大事な話をしてるんだから、と。

8 犬食べる話

おばあと縁者らしいもう一人の年配女性。縁側に座る、でかすぎる麦藁帽子をかぶるのはこの家のおじいだが、もともとは内地の出身らしい。思い出話も関西なまりが抜けない。おばあは、いきなりおじい、犬を食べたことがあるか、と問いかける。どうも、この話は何度かこれまでにもやりとりのあったからかい話の定番ではないか、という空気。沖縄の二人が、犬くう話のたびにどきっとするおじいをからかうのだろう。そのうち、おじいが内地からやってきて、国際通りでおばあを見初めたくだりに至る。何度もたどったお決まりのコースなのだが、親しい女性も舌なめずりせんばかりに合ずちをうつもんだから、おじいはなんとも旗色が悪い。昔話に逃げ込むように、小麦粉の袋が近所のどぶ川に浮いていて、ステッキで手繰り寄せようとした父親が川に落っこちた話をする。お好み焼きのうまさを語るおじいもまた、幼いころの大阪の味を舌先によみがえらせている。
おじいとおばあたちのけっこうどぎつい嫌がらせのやりとりは、双方をとてもチャーミングにする。でも、縁側じゃなくて、これをマンションでやっちゃうから、金婚式終えたような老夫婦間の殺人とか起こるんじゃないかな。日本の家族や家庭をもっといいものにするって意外に単純なことで、でも簡単にはいかないことかもね。

9 かぎは4つ

沖縄の男性二人が前に並んでおり、その後ろに奥さんが離れて座っている。下手夫婦はカギを4つもつけている。上手夫婦は、沖縄らしくカギはつけていない。でも、泥棒に入られたときカギをつけていなかったら、警察に怒られるといわれて、不安になってしまう。カギがついてないから、娘が夜派手な格好して出ていくのだ、と言われ、うちはゴーヤを夜取りに行くのだ、と言い返す。でも、言い返しはエスカレートし、どうやら、両家の息子と娘は結婚していたが、最近別れたらしいと判明してきて、見ていてびっくり。こんな筋書きみたことない。沖縄は、“現代”を描いても、どこかファンタジーみたい。

10 猫汁とにわとり治療

おばあの格好をやめたこの人はとてもきれいな女性。おばあになると、ずっと呪文のような言葉を繰り出していく。ネコ汁だとか、瀕死の子どもの腹に、にわとりの肛門をあてさせるとか、ブラックな民話の世界。でも、きっと日常に今でも見聞きする光景なんだろう。現代の中に近世が鎮座している感じ。

11 みやげ物や
 都会っぽいあんちゃんだな、と見えるのに、この人がしゃべるとなんかこっちの力も抜けてくるウチナーあんちゃん。置き舞台の奥が通りになっている想定で、そっちの観光客に海が見えるペンダントってのを売っているらしい。売るつもりがあるのか、ないのか、せりふもどこか力が抜けた話し方。私だったら、けっこうひっかかってペンダント買ってしまいそう。
 舞台に腰をおろして前面にいるのは、もじゃもじゃ頭にいかつい風貌の今回ワークショップの名物男になった温泉太郎さん。もう一人のおばあと差し向かいで、メジロをどうとか話している。今はめずらしい小鳥屋なのか。背中かゆい、掻いてくれというと、おばあは背中に手をいれて掻いてやる。昨日、イッセーさんが、感動したシーンだったとコメントした。

12 安里屋ユンタ
 東京へ行ってきた話しをする近所の女性。そしたら、病人の傍らに座りうちわで風を送っていた女性が、ニューヨークに行ったとき、といい出す。マクドナルドにグランドピアノがあって・・・。
すると瀕死の病人のはずが、急にむくりと身体を起こし、わしゃあ極楽に行ってきた、と話しに参加する。空をずっと飛んでいき、ぐんぐん降下していったら、と。この世ではないどこかをおそるおそる進むと、どうやら、妙に懐かしいところらしい。極楽は、沖縄やった、と。病人はうっとり宙を見て話し続ける。やがて、安里屋ユンタが低く奏でられ、極楽を見てきた年寄りがゆったり立ち上がって踊り出す。いつのまにか、演じ手たちも舞台にもどり、みなのんびり踊り出す。この世の極楽で。


今回、構成もしっかりイメージした通りに稽古したし、せりふも当日作るなんてことせず、いいせりふを温存したまま本番に突入した。若い人がほぼ全員おじいとおばあになる。これまでだったら、若い人が老人をするのに、しわを描いたり、白髪のかつらかぶったりはしないようにしていた。作りすぎずに表現することを目的としていたから。でも、今回沖縄はこれまでの暗黙のルールをどれも静かになぎ倒していった。
 しっかり作り込んだ芝居も、しわでメークした老け顔もとても作為的であったけれど、そんなことがこのワークショップの活き活きとした空気をじゃますることはなかった。参加者がみな今ここを生きるというライフスタイルを身につけていたからだと思う。
 私は終盤から急に参加して、自己紹介もしないし、特技もないし。関係者だとはわかったろうけれど、そのことで特に関係性を求める人はいなかった。ところが、金曜日土曜日、と二日いっしょにいたことから、すれ違うときに一人一人が、必ずほんの少しニュアンスのあるまなざしでほほえむようになった。それはこちらを決して侵そうとしない笑顔で、ただ、今ここでいっしょにいることを喜んでいる、そんな表情だった。ここに居ること、ともに在ること、それだけで私という存在はよい存在だと自らが思えるような、大げさに言えばそんな笑顔だった。
 シーミー祭に始まり、極楽が現世の沖縄であるという話しで終わる一連の芝居は、なぜかうそが感じられなかった。演じ手が一人一人、おじいやおばあとの経験を活き活きと体内にたたみ込んでいたからだろう。また、モデルとなったかもしれないおじいやおばあその人が、自分の時間の中に、赤ちゃんの自分から、年齢を重ねた自分まで、ずっとすべての時間軸の自分を大切にしまいこんでいただろう。そんなことをしっかり見るものに伝える芝居になった。
 
 公演の前夜の様子も次に紹介しておきたい。
 
沖縄桜坂ワークショップレポート 

WSの金曜日はたいてい朝から稽古が始まる。その日、雄三さんは焦ってることが多いけれど、今回は金曜日の稽古3時開始。これは余裕というか、バトンが参加者の方にわたっているということだろう。こういうところまで来たのか、と、ちょっとした感慨がある。新潟WS公演二日目、雄三さんは、必然の失敗について、滔々と述べた。結局うまくいったのだけれど。(イッセー尾形のHPのWSレポート参照)そこから、WSは折り返した。ご当地の力も加わって、より自律的に何か動き出したようだ。今は、動き出したものに、まだ名前はつけたくない。
沖縄の風土とWSの向かう方向はとても似ているのかもしれない。そういった沖縄の風土を余裕をもって受け入れられるように、WSそのものも成長してここに至った。ここで15カ所目にあたるそうだが、あまりに早くここへ来なくてよかったと思う。WSの成熟が、沖縄と釣り合った時期にちょうど来ることができたような気がする。

桜坂スタジオ
公設市場の横っ腹に続くあがって下がる小さな坂道。そのてっぺんに立つビル。間口が広く開いていて、とても映画館とは思えない。入ってみるとロビーにはショップとかカフェとか。大手が配給するような映画ではなくて、ちょっと趣向のある映画をやっているところ。その外脇階段をあがって3階の奥から稽古場。靴を脱いで、台所の脇を抜けて入ります。

畳が二枚置かれていて、そこが舞台。二人が、おじいとおばあになって対話しています。昔話と今の話しが同じトーンで話されている。どちらも相手の話の内容は聞いていないように見える。でも、それが疎外感にはならなくて、そういう二人の存在様式だと思える。眠気を誘う沖縄の抑揚を、相手はきちんとは耳に留めているから。ときおり、雄三さんが、名前呼んでと指示。あまりにも意味のやりとりから離れすぎると、相手の名前を呼ぶとよいのだろう。“まぶい”が遠くに漂わないよう、お互いにときどき確認しあっているようにも見える。中には、沖縄の外の世界の話しも混じる。

東京では犬が服着とるじょ。
それもたくさんさん持っとるじょ

内気そうでまじめな表情の女性が、語尾にじょとつけて、東京の犬の話しをする。その、じょ、がかわいくて。赤塚不二夫のおそ松くんに出てくるおでんのチビ太の話し方。本当にそう話すところがあったんだ。

くぬめえの台風で、でえじだったねえ
ごーやあよ。むるとんだめとよ

わらわあだったときよお
はだしのむろしてからよお。きずだらけよお。
はっしゃーやったーはくものもねえがよ。

私の耳に聞こえたままにメモしたらこうなった。わからないことが気になるなくて、音のもつもの全部伝わる。人が人に対して発する音に、ちゃんと何かがこもっている。こういうこと、イッセー らは敏感です。ゆうじもやっちゃんも、もちろん、音の専門家の岡田親分、くろちゃんもおもしろがって、気持ちよさそうに聴いている。本当に聴いていることが気持ちのよい音。

雄三
話しかけると、そんときにふっと帰っちゃう。少年に戻っちゃうの。で、おまえ、ご飯食べたか?夕焼けになったら、鳥がいっぱい帰ってきててな、とか、ふとそこに帰る。そして、今に戻る、と。中途半端にお互いに話しかけたりしないのね。しょっちゅう話してるから、聞き流すのね。


東京行ってきたよ。葬式よ。
のぶが亡くなってからに
あっちでよ。バスに乗ってよ。

これが、ワークショップの幕開け、ホテルの葬式の原形です。声にもメジャーとマイナーってあると思う。で、特に沖縄の言葉って唄みたい。そして、このおばあのせりふはみな、メジャーでゆったりと唄われる。

東京でびっくりしたのは、お墓がでえじ小さいのね。で、棒がいっぱい立っていてさ。

雄三
世の中って、若い人といると昔話思い出す。内地の人といると、沖縄の話しする、と。丁々発止の会話だけが親しいっていうのは息苦しいから。なんかぼんやりしてて、相手のことは半分聴いてるような、でも、突然自分のイメージが湧いてきたらかってにしゃべっちゃうような。そんなのを再現しようとしてるのね。この時間を日常ではみんなちゃんと見てないの。素人を舞台に乗せるのは、みんなの中に眠っているものを舞台にあげようとすることなのね。

昼の部の最後に、顔を作るというか、壊すってのをやった。今回のワークショップは美人が多い。沖縄ではみんな彫りが深くて目が澄んでいて大きいので、自分がことさら美人だと思ってないみたい。だから、自意識のないきれいな人がたくさんいる。でも、外から見たらとてもきれいなので、とにかく、顔を壊していくという課題。今回のテーマの一つは美人をやめる。男性もまじめそうでちゃんとした表情の人は作り替えるように言われた。

雄三
あんたきちんとした人じゃない。だから、顔つきはだらしなくした方が。汚い顔してごらん?
そうそう、顔あげて、あ、いいね。その顔でしゃべって。だらんとした、喜怒哀楽がはっきりしない顔になる。

でこの日、スタッフ、ゆうじの誕生祝いを準備することに。岡田さんと清子さんはプレゼントを買いに、で、私は三越にお誕生ケーキを買いに。ところが、もう閉店間際でホールのケーキはすでになく。で、ケーキ売り場のお姉さんに聞いて、国際通りをずっとずっと行った先に、白バラってお店があるという情報。とにかく、歩き出した。しばらく行って、ホテルで訊ねて、その前で道を尋ねてと。モノレールをくぐってさらに行くのは心細かった。知らない町の夜が始まろうとしてたし。で、バス待ちして座り込んでる50代の女性に聞いたら、身をよじるようにして、教えてくれた。ずっと行きなさいと。で、アサトの方に行ったら、右に回るでしょ(知らんけど)で、そっちへずっと行ったら、だいどう病院があるでしょ(知らんけど)その前よ。で、それからも2人に聞いて、やっと到着。
沖縄の人は、訊ねる場所が遠くにあるときは、本当にすまなさそうというか、道を尋ねる人のその後を案じるあまり、とても悲しそうに教えてくれる。ところが、だんだんゴールが近づいてくると、仁王立ちで腰に手を当てたりして、堂々と道を示す。ただの一人も、道を尋ねた人から距離をとろうという人はいなかった。

さて、夜の部。登場、今回のエース、中2のなるみちゃんと小学生の隼人くん。

座りこみ、顔つきだして猫背にする。

かわいいおばあができあがる。そうそう、今度は稽古からお囃しが入っている。桜坂の制作の中濱さんが三線を習っていて、稽古中も佳境になれば、音楽入り。そうして、昼の部は三線で踊り出すおばあも出た。
夜の部は、どんどん場面を作っていく。せりふは大体良さそうなのが出そろって、この時点で、それぞれの場面の核のなるせりふはできていた。これまでのワークショップでは、本番その日になって、せりふが生まれるというような、とっさの力を期待していた部分もあったのだけれど、沖縄では、けっこうせりふはできあがっていた。

 露天掘り炭坑のようだなと思った。どこを掘ってもすぐに鉱脈にあたるようなでき方。しかも、とても質のよい、せりふ、ですぐに火がついて、持ちもよさそう。このまま落ちずに楽日まで保てそう。

1日の最後は、身体監督(!?)のイッセー尾形が、歩き方の稽古をつける。おもしろいように、イッセーさんが示した意味を身体が理解していく。みなが次々、前屈みになったり、後ろぞりになったり、雄弁な身体である。これほど、身体の感覚が他者に向かって開いていることに、私は感動した。

 

| workshopレポート*吉村順子先生 | 16:58 | comments(3) | trackbacks(2) |
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まざまざと甦ってきた記憶。
順子先生、いつもサンキュ。
| 96 | 2006/12/01 8:45 PM |

何がなんだかさっぱりわからん。嗚呼、ホンモノがみたい。←‥と好奇心を掻き立てる文章でした。吉村さま。ありがとうございます。沖縄もじじばばだったんだ。横須賀もだ。沖縄のみなさんは、頭はどうしたのかな。横須賀はベビーパウダーをふりかけましたよ(リフォーム詐欺のばあちゃん提供)。ひとり「僕このままでやりたいんですよね」と宣った野郎がいたから、頭のてっぺんからパウダーぶっかけてやったら、翌日ばあちゃんの衣装着てきたけど。ピザ屋のバカンス観たかった〜!
| まさるのばあちゃん | 2006/12/01 9:54 PM |

いやぁ〜にゃんとも鮮明に浮かんでまいりました。
作るってコントロールしていく事は難しいですね。
演の人格引き出しがあいたら、その人格にのっとられてしまったwそうおもうと、俳優さんは すごいです。
あのときは〜幽体離脱のごとく
暴走しはじめた自分を冷静に上から見てる自分がいましたw
イッセーさんの登場では 男好き波乱万丈おばぁは
あの時きっと、かしこまって女らしくなったのでは?
っと。。。いまは感じております。
レポート楽しく拝見させていただきました。
ありがとうございます☆
| 凛祢 | 2006/12/01 11:40 PM |










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イッセー 尾形
誕生日:2月22日
出身地:福岡
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