<< テアトル | main | 森田'S SON >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |
07京都ワークショップ吉村先生レポート!
5月に行われた京都でのワークショップのレポートをアップしました。
07年 京都編

 毎日のどうしようもないやりきれない、いっそ不幸と呼んでけりをつけたいような状況。それを,演じて対象化してみると、美しくてやさしくてやっぱり笑えてしまうものになるということ。このワークショップがどこに行こうとしているのかが、博多、京都と続けて見て、とてもはっきりしてきたように思う。
人間が毎日の生活の何かしら突破口を開こうとするある日。でも、怠惰がしみついていて、自分が努力するとか、きちんと行動するとかはもうできそうにない。どのシーンでもそうやって、一人が日常に小石をなげる。小石によって、相方のずるさやどうしようもなさが余計にはっきりしてくるだけ。おそらく意識的にほとんど同様の場面を設定してある舞台。人が入れ替わり、同じようなどうしようもない日常の不満に、ほんのちょっと個性的に火を放つ。たいした違いはないのだけれど、そのちょっとしたやりとりや受け取り方の違いが、私たちの個人の魅力を作っているのだとわかる。本当に同じ不満と不幸,室内の設定まで同じにすることで,人が不幸をどんな風に慈しむかっていう固有性がはっきり出てきた。すこぶる地味な,すこぶる抑えた,でも,ほんの少しの違いがいとおしい芝居になっている。


 三回忌 序章
幕開けは、3人の女と一人の男が並んでいる。京都東山の一角であろう。山の中腹からは、西に広がる京都の町並み、そして西山に落ちる夕日が見えるはず。彼らもまた、それをぼんやり眺めながら、何かをあきらめるように言い聞かせるように座っている。すこしずつきょうだいらしいとわかってくるが、それにしてもこのしめやかさはなんだろう。こんないい年になって、どうも親の3回忌に集まっているらしい。いくらなんでも親の死をこれほどまでに悲しむのは行きすぎというもの。
「死んでもたなあ。もう2年になるんやなあ」そう言いながら思い起こしている父は、娘に無理やりデュエットさせたり、お土産を山のようにかってきたり。親の思い出を口にだすときには西日が顔にあたるようにポッと暖かく見える。
 そろって合掌のあと、しゃがみこんで一人ずつ前向きなことを話し出す。「資格取ろう思てるねん」「なんか、働くことが楽しみになってきて」「もうすぐ主任になるし。そしたら、十分暮らしていける」「勉強しにフランス行こうと思う」
無理のない言い方で自然に話されるせりふだから、饅頭をぴったり紙箱に詰めるみたいにお互いがゆれあわない。それにしても、こんなせりふが現代らしい気分になるなんて。ついこの間までバブルだ、そう中流だって言ってたころには、食べていくことを気にする人なんていないような空気だったのに。
お互いの湯気のたつ前向き宣言にほっとしていると、一人だけの男性が、
「投資しただけやんか」と、父の財産をすってしまったことの言い訳をする。墓に向かっていないと、姉や妹たちに何も言えないのだろう。そこに、男の嫁らしい女性が登場。口調に否定的な感情を込めながら、姉妹らが故人をしのんでいつまでもそこにいることをほめる。もはや、嫁とその実家に帰属している男はうなだれてついていく。
 娘たちはそれでもやけになったりしない。とてもつつましく、元彼がいまや人気ものになったり、成功したりしていることを、明るく披露しあう。あのとき、ああしていたら、今は違っていたはずなのに。遠くを見ている彼女たちを京都愛宕山あたりに沈みかけて夕日が照らしている。それが見える気がした。
 墓の前で、だれを責めるでもなく、ただ自分たちの将来についてマッチを擂る間みる夢のように語るだけの芝居。見栄を張りすぎるわけでもなく、ちょっとした期待を語るのに、血のつながりの暖かさはかけがえのないものだと伝わってくる。と同時に、血のつながりが現実を支えた昔はもう二度と帰らないことを了解しあった3回忌でもある。
滅びていく貴族を描くロシア演劇のように、人間がいかに小さくても、それぞれの一生は気高くて、雄雄しいのだと胸に響いてくる。幕開け。

 
  
 和子はん
髪の毛を触りながらしかしゃべれないおばかそうな若い女と、その隣に座るコミヤマくん。二人とも相当に癖のある表情が固定している。女の方は眉をあげ、口元を下げようとすることで、自分はちょっと特別なんだ、と言い聞かせてきた顔立ち。そして男の方はほおの下を伸ばしぎみにし、歯をむき出しにしたまま口を閉ざしている。これはいつだって、なんでもないんだよおと言い続けた顔。
 おもしろくなさそうにテレビのほうを見ている父親に、自分のボーイフレンドをしきりにアピールする娘。父親はおもしろくない。妻は文句ばかり言いながら、又家を出て行ってしまったとだれにともなくぼやく。人のよさそうな年老いた母親と娘と3人の生活ならば、それなりに過ぎていくはずなのに、そこに娘のボーイフレンドが来た居心地の悪さ。その上,父親と同世代の幼馴染か,ハトコみたいな女性が口を突っ込みにくる。膠着してどうしようもないやりとり。コミヤマくんは、感想を聞かれても、いいともすきとも言えずに絶句している。時折、自分の話題を提示しようとしては、いつのまにかさえぎられてしまう。
 第三の女性が、しきりに,出て行った和子さんの悪口を言うおかげで、あぐらを組む父親の心の中に、逃げた嫁はんへの気持ちが再浮上する。そこへ当の和子さんの帰宅を知らせる声とともに暗転する。そう、また文句を言って、閾値を越えると飛び出していく日常が継続していく。それが、前進する駆動力なのだ。古都京都の古い家を前進させるエネルギーが、母の出奔なのだろう。これもアンナカレーニナみたいね。


 離婚届
ゲーム中の夫。妻はもう耐え切れないとばかり、夫が持ち帰った女ものの傘を話題にする。妻はあっさり伝家の宝刀を取り出し、離婚届けに印を押せという。それでも反応しない夫に泣き出してしまう。
また、どういう間の取り方か、絶妙にぶち壊しのタイミングでタクシー運転手イッセーが顔を出す。家出のデモンストレーションに予約しておいたらしい。もう一歩で手繰り寄せられる夫の気持ちが、ひゅいっと音を立てて穴に引っ込む。運転手を待たせて、必死で夫に言語化を要求し、そしてやっとのことで「あいしてる」と言わせる。また、絶妙の間で、「あいしてる」が空中に漂っているところに、運転手が「行きましょか」と顔をだし、会場大笑い。
妻はあと一歩。証拠見せてよ、というので、夫は妻の肩に手を回すが、すると、いきなり妻はかなきり声をあげ、「気持ち悪い寒気がするわ。ひげがきもい、声がいや」と叫びだす。 もちろん、このやりとり、どれだけ繰り返されているのだろう。近づけば、嫌われ、距離をとれば、出て行くと脅され。でも夫はこの振り子状態もすでに織り込み済みなんだろう。終始表情もかえず、困っても何をしても、一歩遅れては妻の言うとおりに行動するのである。
 

 わたしのどこが好き?
ここでもどうしようもない男女の一間。無職か学生か。男はここでも女といっしょにいながら一人ゲームにふける。ゲームがなければ、パチンコか雀荘だったのだろうけれど、今はこれがあるおかげで二人で一間に閉じこもったまま、でいられるというかいなければならない。
 どこが好きか言ってくれとしなだれかかる女。「好きかどうか」って女にとって何なのだろう。たぶん、女はいつも、どうしようもなく「好き」と思われる存在でなければ、自己効力感を感じにくい生き物なんだろう。そうでなければ、生まれた赤ん坊が、母をだれよりも慕うというだけで、延々と抱き上げほおづりし、おしめを変え、離乳食を作りつづけられるわけがない。女が女であるかぎり、男は好きだと言い続けなければならないものなんです。わかってください。男性諸君。


 横領
あきらかに中年の坂を転がりだしている女性と、アロハ姿の男。
女性は、自分の哀れさを固定した表情をしている。これは「私には幸福は来ません、でもこの私でも幸福でいていいはずだ」とだれかにお願いしている顔。
一方、スポーツカーも、マンションも買ってもらったらしいアロハ男。そのマンションにいた女は妹だと言い張る。「うそいうたらあかん」と女は泣くが、男が本当のことを言ったら、どうするつもりだろう。泣く女に、土下座して「すまん。わるかった」と男は謝るが。「あとどれだけお金があるやろか」という女の一人言に男の前頭葉はフル回転しだす。どうやって、どのタイミングで、逃げ出すか。


 男と女
「ケンタッキーは悪魔の食べ物や。アメリカの作ったもんはみんな道具や。道具はみんな戦争のためや」と矢継ぎ早に繰り出す男。しかし、「音楽は授かりものや」と良いものも存在することがわかる。
一方女は「私死にたいわ。人生、谷あり谷ありや」と数十万という微妙な額の借金がいくつあるかわからず、数え上げるのをやめてしまう。
いきなり、正座する男。「おれの子どもを生んでくれ」
新展開である。古風に女をほしいと言い募る男に、観客はいっそ新鮮な姿をみてしまう。今これほど熱心に女に求愛する姿を見ないし、聞かないから。
 女はパチンコに狂っている。私の欠点はパチンコだけ、とつぶやく。そんな女に懇願する男。女は自分のパチンコ狂いがもたらす不調和を知っていて、受け入れられないし。もしかしたら、男は女のむちゃくちゃさによって、自分の人生も他人に任せて打開しようとしているのかも。やるせなさも68点くらいである。微妙すぎて,結局二人の関係はこれまで通りだろうね。


 具体女、抽象男
「食べ残しのりんごラップして冷蔵庫の2段目にいれておいてね」という女に、「おれがドイツ語マスターしたら返事してくるということか」と勝手に深読みする男
「歌ってよ」と立ち上がる女に、ふふーん、ふふーん、とノリの悪いクラッッシックをハミングする男。踊りだす妻はそんな男にいらだつ。この二人は具象と深読みで会話するかぎり,お互いに安全圏にあるらしい。そこから一歩でると,一挙に関係は喪失してしまう。
しかし、男と女はここからが何か始まる領域でもある。背中からゆっくり妻に近づく男。妻は別れると言い切るが、それに対して踊りだす男に、妻はだめだしに余念がない。


 高校生カップル
 ゆっくり抑揚を聞かせて、鈍いのではないか、というようにどうでもいいことを話し続ける女子高生。男子はふんふん、とあいづちはうつものの。何も聞こえてないことは明白。確かにわざわざ耳を傾ける必要のないことを話している。でも、女はしゃべりながら、もう一つ別の心理過程をあやつれる。だれが見ても、何も気がついていません、という形を作りながら、男が肩を抱き、そして、やがて、また肩から手をおろして何もせずに撤退しては、話題の文脈で「ほんま、ありえへんわー」と叫んでみては、また、何もなかったように、どうでもよいことをしゃべり続ける。たぶん、この女の高度な二重心理過程に、男は一生気づくことはできないだろうな。かくして、二人の間には結局何もなかったことになって、男は去っていくのである。でも,二重心理過程によって,女もまた,さして傷を深めずに,また次の男を待ち続けることができる。


 兄の帰宅
文化活動にいそしむ女、求職活動に励む男。そして、その真ん中に座る派手な服装で強がる男。やがて、彼らが真中の男を長子とする3人兄弟であることが判明。寅さんとは異なり、兄弟たちは、兄との暮らしぶりの違いをことさら言葉にする。大声で泣き出す母は、長男の帰宅喜ぶのか、悲しむのか、ただ空気の平衡をやぶるためにだけ泣き出すようである。いったんはもう二度とこの家の敷居をまたがないと出て行こうというそぶりを見せるが、妹のたった一度の呼びかけに、またもとの位置に座り込み眠ってしまう。
 ひそひそと相談する妹と、弟。かたぎの彼らがまさか、そんな、兄を殺す相談なんて・・・


 とったらあかん
下手では肢体不自由の男性が、電動車椅子の上で身をくねらせている。それに大声で、「太田くん、とったらいかんやろ」と諭すような口ぶりの男性。言い訳もしない男性に、指導者の男性は、ただただ一人でしゃべり続けるが、自分の説教の効果があるとは思っていない様子。
上手では,隠し事していタマミに,なきながら責め募る母親。小さい舞台のあっちとこっちで,家庭内の親子げんかと,施設内のもめ事がなぜか同時進行する。しかし,責められている方よりも,責めている方が,どんどん自分の世界を開陳し,自己主張し始める。


 三回忌 終章
黒服の女性3人に、男性一人。
最初のシーンと同様の構成であり、親の死を悼むシチュエーションも同様。遠くを見渡す動作も同じ。京都東山の墓地には、いくつものグループが法事にやってくるのだ。そして、そのグループごとに、大同小異の問題を抱え、墓の前では同じ血につながる葛藤をみつめるが、翌日にはもう忘れてしまうことになる。どの家族も同じに違いない。
 ああ、そうか、自分の家にだけあったことだと思っていたけれど、これはどのうちにも抱えられていることなんだ、客はひそかにそう思い、遺産を投資してすってしまった長男を許す気持ちになっていく。そうやって、親の代は波に洗い流されるように、わずかに残した財産も広く社会に分散していく。
 遺された子どもたちは、もういい大人であり、墓の前に集まったときには、子どもであったときの安全さを懐かしむだけである。墓参りは、のこったものにとって、時間だけは絶対にまき戻せないことを確かに教えるシステムである。

見ている者もまた、あしたからは、また一人の大人として仕事し、家庭を支え、上司に怒られ、部下に苛立ち、子どもに悩む毎日が待っている。でも、遠く京都の町並みを眼下に西山を望む気持ちをなぞり、何か小さいものが浄化された気がする。それは、とても大切なこと。過去に起こったことだけは、どんなに切なくて、どんなにばかだったとしても、もう絶対やり直せないということ。だから、むかしは懐かしむだけにしておかなければいけない。胸が締め付けられそうでも、どうしても、今日の今を小さくきちんと過ごすしか生き様がないのだということを、なぜかアドリブのワークショップ芝居が伝えてしまう。

| workshopレポート*吉村順子先生 | 16:28 | comments(1) | trackbacks(4) |
スポンサーサイト
| - | 16:28 | - | - |
するどいですね。たしかに、年に数回だけ、家族や先祖を思い出す場所ですね。ひがしやま。

京都にいても気づかない日々、どろどろとした空気、小宮山君が京都の人やなかったなんて。ショックです。
| 枯れ葉おばさん | 2007/06/22 10:24 PM |










http://issey-ogata.jugem.jp/trackback/632
-
管理者の承認待ちトラックバックです。
| - | 2009/07/29 4:23 PM |
-
管理者の承認待ちトラックバックです。
| - | 2009/07/29 6:24 PM |
-
管理者の承認待ちトラックバックです。
| - | 2009/11/25 3:36 AM |
-
管理者の承認待ちトラックバックです。
| - | 2009/11/28 1:45 AM |
+ プロフィール

イッセー 尾形
誕生日:2月22日
出身地:福岡
イッセー尾形オフィシャルサイト
+ しっかりレポート&読み物
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< September 2017 >>
+ SELECTED ENTRIES
+ RECENT TRACKBACK
+ CATEGORIES
+ ARCHIVES
+ MOBILE
qrcode
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
ルンバ天国
ルンバ天国 (JUGEMレビュー »)
マックス・ラーベ&パラスト・オーケストラ
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ LINKS
+ OTHERS
+ SPONSORED LINKS
このページの先頭へ